当時は「よく続けてるね」とよく言われました。
働きながら保育士資格を目指していた私にとって、その園は“踏ん張るための場所”でもありました。
環境は決して良くなかった——備品は足りない、行事用品は自腹、社長のご機嫌取り。何度も心が折れそうになりました。
それでも私が毎日元気に出勤できたのは「保育をする自分」を見守ってくれる人たちがいたからです。
資格を取るまで続けた理由
働きながら資格を取るのは、時間と体力が必要です。出勤前、退勤後にカフェで参考書をめくり、休みの日には図書館で勉強。——そんな日々を続けていました。
「絶対に資格を取って堂々と転職したい!」
理不尽な日々だったけれど、保育の知識を深めながら実際に現場に立つことができることを貴重な時間と捉えて過ごしていました。
資格取得後のジレンマ:すぐに辞められない「情」と「責任」
念願の資格を取ったとき、心の底から「辞められる」と思いました。
でも同時に、支えてくれた人たちに対して、お世話になった保護者に対して申し訳なさもありました。
結局、私は資格取得後もさらに1年間、その園で働くことにしました。退職までのその1年は、次のステップへの準備期間でもありました。心の準備、職探しの時間、そして何より「感謝を伝える」最後の期間でもありました。
支えてくれた“パートさん”たち
一番の救いは、60代のパートさんたちの存在でした。職場の理不尽さをよく知っていて、職場でも人生についてもよき相談相手でもあり、私の保育に対しての姿勢をいつも褒めてくれるため、自己肯定感を上げてくれる存在でもありました。
彼女たちの支えは、私の評価を変えるわけではない。でも、
「レチ先生のまっすぐ子どもと向き合う姿」
「太陽みたいな存在」
と言ってもらえたことが今でも心に残っていて、子どもだけではなくて
「人」を大切にする保育士になろうと思ったきっかけでした。
ブラックな環境で得た“見える化”された学び
辛い環境は決して褒められたものではありません。でも、その中で見えてきたものもあります。
- 何が保育士として大切か(子どもへの向き合い方、記録の付け方など)が明確になった。
- 「こうはなりたくない園」の基準ができ、将来の働き方の軸が固まった。
- 小さな声を拾える人の重要さを身にしみて理解した。
つまり、経験そのものが次の職場での武器になった。もっと環境の整った良い職場でその力を活かすことをイメージできるようになったのです。
同じ境遇の人へ:まっすぐでいることの意味
ここで伝えたいことは一つだけです。
まっすぐに保育をしていれば、必ず見てくれている人がいる。
それは必ずしも上司や評価制度ではないかもしれない。近くにいる年配のパートさんかもしれないし、子どもの保護者かもしれない。あるいは数年後に再会する元同僚かもしれない。
けれど、誰かがあなたの「まっすぐさ」を覚えていてくれる。見てもらえることが、あなたのやっていることに価値がある証です。
ただし、だからと言って無理をし続けろとは言いません。自分の心身を壊す前に助けを求めてください。支えてくれる人を大切にしつつ、必要なら逃げる勇気も持ってください。
終わりに
ブラックな保育園で過ごした時間は、決して美談ではありません。けれど、その中で私を助けてくれた人たち、そして私が貫いた保育は、今の私を支える信念となりました。
今だから言えますが、私は保育士の資格を取った時点で即辞めたほうが良かったな、と思っています。
それは環境の整っていない場所で保育をしていても身に付くことはないからです。
そして自分がいなくなっても代わりなんていくらでもいます。
それでも今は辞められない人は
まっすぐに仕事をしていれば、どこかで誰かが必ず見てくれている。
その事実を胸に、今日も一歩踏み出していきましょう。